歴史

『静岡茶発祥の地』足久保

 安倍川の支流足久保川の流域。豊かな自然に恵まれた足久保は、古くから茶業で栄えた歴史ある地域です。
 鎌倉時代の高僧聖一国師(しょういちこくし)が宋より持ち帰ったお茶の種を播いた「静岡茶発祥の地」。また江戸時代、足久保茶は「将軍家御用達の高級茶」として広く知られていました。
 これらを足がかりに、足久保茶と地域の歴史を辿り、その魅力に迫ってみましょう。

聖一国師像 画像
聖一国師像
(臨済寺提供)
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静岡茶発祥の碑

聖一国師が宋より持ち帰った種を、茶の栽培に適した足久保に播いたことから、静岡にお茶が広まったといわれます。聖一国師の偉業を讃え、750周年を記念して「静岡茶発祥地」と刻んだ碑が建てられました。

「聖一国師」の播いたお茶

 静岡茶の祖・聖一国師(1202〜1280年)は、足久保と峠一つへだてた大川地区栃沢の生まれ。聖一国師という名は、死後、花園天皇から贈られた称号で、生前は円爾(えんに)といいました。
 幼いころから利発であった聖一国師は、5歳で久能寺に入門、その後、各地で修行を積み、嘉禎元年(1235)に宋へ渡りました。径山(きんざん)の無凖師範(ぶじゅんしばん)のもとで学び、仁治2年(1241)に帰国しますが、その 際、経典をはじめ、様々な技術を持ち帰りました。九州に博多織やうどんを伝えたのも聖一国師の功績といわれます。帰国後、多くの貴族の尊敬を受け、九州の崇福寺や承天寺、京都の東福寺の開山として迎えられました。
 寛元2年(1244)、聖一国師は入宋前に学んだ上野国(群馬県)の長楽寺に栄朝禅師を訪ね、その帰り、故郷栃沢の母のもとを訪れます。このとき、宋から持ち帰った茶の種を穴窪(足久保)に播いたことが『東福寺誌』に記されています。茶の栽培法や利用法も学んできた聖一国師は、この地が茶の栽培に適していることを見抜いていたのでしょう。このことが、静岡茶の発祥として伝えられています。

将軍家御用達『江戸の高級ブランド茶』

将軍家の「御用茶」

 足久保のお茶が脚光を浴びるようになったのは江戸時代のこと。
 晩年、駿府に隠居した徳川家康公は茶の湯を好み、頻繁に茶会を催しました。夏でも涼しい井川の大日峠に、お茶を詰めた茶壺を保管する御茶蔵を建て、井川を支配していた海野氏に命じて管理させたと伝えられます。現在、井川にはこの御茶蔵が再現され、毎年10月には久能山東照宮へお茶を運ぶ「お茶壺道中」が行われます。
 延宝9年(1681)、徳川綱吉の時代に、足久保から煎茶を江戸城に納めたことが記録されています。江戸城への「御用茶」献上は、その後約六十年にわたり継続して行われました。御用茶を納める足久保村は、諸役御免、人足千人分の扶持米の支給などの特権が幕府から与えられ、非常に裕福でした。
 御用茶は、当時足久保に3カ所あった御茶小屋で製茶され、井川の御茶蔵で保管の後、江戸城に届けられました。栗島地区の御茶小屋のあった所には、今も「茶小屋」の屋号で呼ばれる家があります。

徳川家康公 画像
徳川家康公
(久能山東照宮提供)
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狐石

元禄7年(1694)5月、松尾芭蕉が詠んだ句です。駿河路では香り高い橘ですら茶の香りにはかなわないと詠われています。駿河路といえば「茶」が思い浮かぶ。それほど茶の産地として広く知られていたことがうかがわれます。

駿河路や はなたちばなも 茶のにほひ 松尾芭蕉

茶商・竹茗の刻んだ碑文

 足久保茶にとって重要な史跡に、「狐石」があります。大きな石の表面に、天明8年(1788)に駿府の茶商・山形屋庄八(初代竹茗)によって刻まれたと伝わる碑文があり、芭蕉の「駿河路や〜」の句とともに自らの製茶技術復活の業績が記されています。
 御用茶の献上停止から時を経て、足久保ではかつての青茶(高級煎茶)の製法が失われていました。それを復活させようと、竹茗は鮒沢(舟沢)の辺りに小屋を構えて茶を栽培し、古老から話を聞くなどして、十年に及ぶ苦心の末、復活に成功しました。こうして再び足久保で高級煎茶の生産がはじまったことを伝えています。
 この狐石は、地元茶農家の人たちによって大切に管理されています。その傍らには聖一国師の碑が建ち、毎年供養祭が行われます。
 「狐石」の名の由来は、ここに狐が棲んでいたことから。また、容易に変化することからお茶の葉を「狐っ葉」と呼ぶこととも関係があるのかもしれません。
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受け継がれるお茶づくりの技

足久保茶の伝統を未来へ

 その年の気温や降水量、肥料の管理や加工技術、様々な条件によって、お茶の仕上がりは変化します。「聖一国師ゆかりのお茶」、「将軍家ご愛飲のお茶」。足久保では、その名に相応しい一級品をつくるため、お茶づくりの探求と技の継承が行われてきました。お茶の原点は、ふれあいともてなし。
その心をお茶とともに届けるため、足久保の茶農家による丹精込めたお茶づくりが続けられています。

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法明寺の献茶式

法明寺は1300年近い歴史を持つ曹洞宗の古寺。行基の彫った「千手観世音菩薩」が今も安置されています。毎年4月には、市場に出す前の新茶を奉納する「献茶式」が法明寺観音堂で行われます。

受け継いでいくお茶づくりの文化

後世に残したい風景

 足久保はお茶とともに歴史を歩んできました。今も足久保川に沿って、たくさんの茶畑が広がっています。茶畑のそこここに、肥料を播いたり、草を取ったり、手入れをする人の姿が見られます。
 奥長島の山肌には、白い石垣と茶の緑のコントラストが目を引く棚田状の茶畑が広がります。何年もかけて、川原から運び上げた石を積み、お茶の木を植えた畑です。大変美しい風景ですが、これはきちんと手がかけられているからこそ。機械の入りにくい段々畑は、収穫にしても、日頃の手入れにしても、手間がかかるものです。以前は、このような段々畑が多くみられましたが、現在は段をなくした畑が多くなっています。
 働き手の高齢化や後継者不足によって荒れてしまう例も残念ながら少なくありません。地域の大切な財産として守りたい風景です。

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茶畑は足久保の歴史そのもの

竹千代鍋・竹千代御膳

竹千代鍋

 静岡駅北口に立つ竹千代君の、小さくても凛々しい像を皆さんはご存知でしょうか。
 8歳から19歳までをこの地で過された竹千代君が好んで食されたといわれる鍋を具現化するために考案したのが竹千代鍋です。
 鍋の中味は10品目。季節に合わせて採りたての新鮮な夏野菜、冬野菜をたっぷり入れます。 竹千代鍋と足久保茶は相性抜群。イベントなどの折にはぜひお声かけください。

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竹千代御膳

 平成25年の家康公のお茶祭りには、竹千代御膳が誕生しました。
 竹千代鍋に地元で採れたものを使ったお料理を合わせました。 13人で知恵を出し合って完成した、新しい足久保の名物です。 もちろん足久保茶と抹茶塩は欠かせません。

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